子どもに寄り添う - 少年事件・学校事故への取り組み(野口善國)
野口善國が死刑について朝日新聞のインタビューを受けました 〜野口善國のつぶやき
野口善國が死刑について朝日新聞のインタビューを受け、次のとおりの話をしました。
「人を殺す 立ち会いで実感」
死刑を執行するとはどういうことなのか。強盗殺人事件で死刑が確定した男の執行に立ち会ったのは、刑務官になって間もない1971年末ごろでした。
当時の東京拘置所は執行の前日、本人に告げていて、電報を受け取った奥さんと親戚が慌てて面会にやってきました。奥さんは泣いてばかりで、男は「責任をとるだけのこと。人間はいずれ死ぬ」と慰めていました。30分ほどの面会の最後、奥さんが「息子の顔があなたに似てきた」とだけ言えたのを思い出します。
翌朝、刑場に付き添いました。所長以下10人ぐらいが並び、所長が「何か言い残すことはないか」と尋ねると、男は「お世話になったみなさんと握手したい」と言いました。それが終わると、別の幹部が「決まりだからそろそろ行くぞ」と。布で目隠しをされ、後ろで手錠をされると目の前のカーテンがするすると開き、天井から垂れ下がる縄が現れました。
その下に連れて行くと、足元に1メートル四方ぐらいの踏み板があり、僕はそのそばに立っていました。首に縄がかけられ、幹部が合図をすると、ガラス窓の向こうにいる職員3人が3本のレバーを同時に引きました。誰が直接、命を奪ったか分からないようにする仕組みです。バーンという大きな音で踏み板が開き、男は目の前から消えるように落ちました。
反動で大きく揺れる縄の動きを止めようと、僕は思わず手を伸ばして縄をつかみました。穴をのぞき込むと、地下に控えていた医務官が男の胸をはだけて、聴診器を当てている。心臓がどくんどくんと動いているのが分かりました。「いま助ければ、まだ生きられる」などと考えたのを覚えています。
法律で決められたことですから、広くいえば正義の実現だったのかもしれません。でも実感は、人が人を殺しているというものでした。それがいいとか、悪いとか言うつもりはありません。ただ合法的にこういう行為をさせるのなら、実情はどうなのか、国民も国会議員も、裁判官も知ってほしいと思います。
環境が合わず3年後に退職したので、立ち会ったのはこの時だけです。ただ、いまも絞首刑という方法は変わっていません。現実を理解した上で、議論を深めてほしいと思います。