子どもに寄り添う - 少年事件・学校事故への取り組み(野口善國)
【4】少年事件~少年法「改悪」と闘う
1 はじめに
私は大学生であった昭和41年(1966年)頃から、少年法に関心を持ち、少年達との交流を通じて現行少年法の価値を確信し、これまで一貫して少年法を守り、「改悪」に反対する活動を続けてきた。
思えば一部では改悪をくい止め、少年の権利や被害者の権利を守る改正もなされたとは言えるものの大局的には、特に、この20年は敗北の連続であったように思う。
しかし、今回の年齢引き下げ問題は、18、19歳の少年の取扱いのみが変更されるのではなく、17歳以下の少年に対しても、その取扱いが、一般予防に中心を置いた、厳罰主義(あるいは厳罰とまではいかなくとも刑罰化)に傾いていくことは必至である。
私が人生をかけて守ろうとしてきた少年法は今や死滅しようとしているのではないか。
このような危機感から、少年法「改悪」問題に長らく闘いを続けてきた者として、少年法「改悪」の歴史を振り返り、現在の「改正」案の危険性を指摘したい。
しかし、私は研究者ではなく、また、文献を幅広く丁寧に検討する能力も、時間もない。
いわば「少年法」の「研究者」としては素人の域を出ないが、とりあえず若い弁護士の方に対して、これだけは言い残しておきたいものを独断的に提示させて頂くことにした。
従って、学問的には裏付けのない強引な主張や、不合理な論理展開が各所に見られるかもしれぬが、それを批判して頂くことによって、少年法「改悪」の議論が深まり、多くの人々の関心を引き、結果的に少年法「改悪」が阻止できれば、これに優る喜びはない。
2 旧少年法
大正11年(旧)少年法が制定公布された。アメリカの少年裁判所運動等に刺激されたとされており、当時から「愛の法律」と呼ばれた。
少年には成人の刑罰とは異なる教育的措置を講じようとするものであったが、現行の少年法から見ると、非常に不十分な内容であった。
まず、適用される年齢は17歳以下の少年に限られていた。
更に、保護処分を決定するのは現在のような裁判所ではなく、少年審判所という名の一種の行政機関であった。
また、17歳以下の少年であっても、保護処分に付するか、刑事処分に付するかは検察官が決定し、少年審判所は検察官が送致した時のみ審判がなしえた(検察官先議)。
保護処分は、訓戒、学校長による訓戒、書面による誓約、条件を附しての保護者へ引渡、寺院、教会、保護団体等への委託、少年保護司の観察、感化院(現在の児童自立支援施設に近い)、矯正院(現在の少年院に近い)、病院への送致等の9種であった。
予算の問題からか当初は東京、大阪にのみ施行され、全国で実施されるのは昭和17年(1942年)になってからであった。
3 現行少年法の成立
昭和24年1月1日施行された現行少年法は旧法の内容を次のとおり一新し、まさに「愛の法律」と呼びうる法律であった。現行少年法施行当初のスローガンは、
「少年に愛を、家庭に光を」
というものであった。旧少年法と比較し、新少年法は次のような特徴がある。
- 現行少年法は家庭裁判所という裁判所に少年の保護処分を担当させることにした。少年の人権(デュープロセス)を守りつつ、健全育成のための処分を決定するのには、行政機関ではなく裁判所の方が適切である。
- そうして、少年が刑事処分を受けるのは、16歳以上の者に限り、家裁が刑事処分を相当との審判をなした場合に限られる(家裁先議)。
- 警察や検察は、少年事件の全てを家裁に送致せねばならず(全件送致主義)、保護処分か刑事処分かの選択は家裁のみがなし得る。
- 少年法の適用を17歳以下ではなく、19歳以下まで引き上げた。
- 家庭裁判所に、心理学、教育学、社会学の専門家たる調査官を置くこととし、調査官が非行の原因やそれに対応する処遇、教育の指針を科学的に裁判官に提案したり、自ら少年を指導して立ち直らせることができるようにした(科学主義)。鑑別所の活用も、この科学主義を支えるものである。
- 調査官による試験観察の実施など、家裁自体が健全育成を目指して少年を教育する(ケースワーク)機能、プロベーション機能を有する。
4 少年法「改悪」の動きのはじまり
(1)検察官の先議権を家裁に奪われた法務省は現行法成立の当初から、現行法について大きな不満をいだき、旧少年法への回帰を主張する者が多かったと言われている。
昭和41年(1966年)には法務省は「少年法改正に関する構想」を発表した。同構想は「旧少年法はわが国の司法制度の実情に即した優れた制度」とし、18歳以上の少年は17歳以下の少年と区別し、検察官が保護処分にするか刑事処分にするか決定権を持つとか(検察官先議)、保護処分の内容を旧少年法のように多様化するなどの内容であった。しかし、これについては裁判所も強く抵抗し、当時の現職の裁判官も大学祭のシンポジウムに出席し、激しい批判を行い、調査官もほとんどの人が反対を公言していた。もちろん日弁も強く反対し、それを世論も支持して「構想」が実現することはなかった。
法務省は懲りずに昭和45年(1970年)には、以下のような内容の「少年法改正要綱」を発表した。
- 18歳以上20歳未満を青年とする(青年層設置)。
- 青年の事件については保護事件手続きを廃止し、すべて刑事事件手続きとする。
- 全件送致主義を改め、検察官に起訴・不起訴(青年につき)、送致・不送致(少年につき)の選択権を与える。
- 司法警察員に不送致権限を与える。
- 少年および青年の刑事裁判権を家裁に与える。
- 年長少年(青年)に対する保護優先主義を改め、検察官のイニシアチブを実現する。
- 少年の審判にも検察官の関与および抗告権を認める。
しかし、この要綱にも、裁判所は強く反対し、最高裁家庭局は、「『刑罰から教育へ』と向かっている世界の一般的動向にも逆行し」、「検察官の権限を拡大強化して、これを実質的に原告官としての権限を与え、審判手続の対審化をはかり刑罰を強化しようとするもの」として反対した。日弁連も強力に反対した。もともと、刑法改正問題委員会の中におかれていた少年法改正問題特別部会は少年法「改正」阻止対策本部と格上げされ、弁護士会館には「刑法改悪阻止」の垂れ幕と共に「少年法改悪阻止」の垂れ幕が掲げられた。
当時の法律雑誌には研究者のみでなく、多数の現職裁判官が要綱反対の論文を載せた。
東京家裁の主任調査官も法改正は調査機能の低下をもたらすとの論文を発表し、全国から250名余の調査官が集まり「改正」反対を決議した。
松尾浩也、宮沢浩一、西原春夫、沢登俊雄など主だった研究者も厳しくこの要綱に反対した。
そこで法務省は昭和50年(1975年)には青年層の設置をあきらめ、法制審で「植松試案」なるものを「中間答申」として答申した。
日弁連は法制審の委員、幹事全員が辞任し、全力を挙げて闘った。しかし、裁判所はこの時点になり、「中間答申」に賛成に回った。我々の立場からは裁判所の姿勢の変化は背信的な裏切りと感じざるを得なかった。
この中間答申は次のようなものであった。
- 検察官に審判出席ができるようにするとともに、決定に対する抗告権を与える。
- 18歳以上の少年に対しては、18歳未満の少年と異なる特別の取り扱いをする(死刑または無期もしくは短期一年以上の懲役、禁固にあたる罪にかかわる事件については、検察官は家庭裁判所の要請または許可がなくても出席することができる。刑事処分相当を理由とする抗告を認めるなど)。
- 一定の範囲の軽微な事件については警察または検察官かぎりで処理する。
- 補導委託の期限を制限する。
- 短期少年院など保護処分の種類を増やす。
結局、世論の強い反対もあり、一旦少年法「改正」は条文の変更については断念され、法の変更なく短期少年院が創設されることになった。
(2)昭和54年頃から家裁の中で調査官や裁判官への統制が強まっていく。
その現れが、矢口論文(後最高裁判事、当時東京家裁所長)家裁月報昭和54年9月が、「処分を決めるに当たって・・・社会、公共の安全と無関係ではありえない」と主張し、「ケースワーク機能は司法的機能と共通の目的及び理念によって指導されるもの」とし、ケースワーク(試験観察等の)機能を後退させた。
この頃から、試験観察の件数や期間が減少していき、補導委託の件数も減少していく。最大時から較べれば補導委託の件数はなんと40分の1になっている(別添資料1)。
最近、補導委託の有用性が家裁月報にも謳われるようになったが、私としては、やや空々しくさえ思われる。
昭和57年には統括主任調査官制度が導入されるなど調査官への統制も強められていく。又、後には、調査官採用が心理学、社会学、教育学の人間科学分野からの採用であったのを平成3年(1991年)には法学分野からの採用が始まり、調査官が「小裁判官」化していくことになる。
そしてついに平成16年(2004年)調査官研修所が廃止されるようになる。
このようなことが裁判官や調査官に外部への意思表明を控えさせる風潮となっていく。
少年法を刑事法的に変質させるような裁判官の発言が次第に目立つようになっていく。
裁判官も調査官も試験観察に消極的になり、例え試験観察の決定がなされても、できるだけ期間は3ヶ月を超えないように気を遣うようになってきた。
個人的な感覚で言えば、ここ20年くらいの間に調査官の権威はかなり低下し、裁判官の好む調査官報告書が作成される傾向が強くなっているように思われる。
(3)平成5年(1993年)に発生した山形マット死事件で犯人とされた少年が非行事実なしと審判された頃から、現職裁判官が「正しい事実認定」をするためには審判に検察官を出席させるべきなどと公然に持論を展開するようになった。
平成7年(1995年、判例タイムズ884号)の「八木論文」がその象徴とされる。弁護士の一部にも「少年の人権(デュープロセス)擁護」の立場から対審構造化を支持する者も表れるようになった。
(4)神戸連続児童殺傷事件等の発生
平成9年(1997年)神戸連続児童殺傷事件が社会の耳目を集め、大きなショックを人々に与えたが、このような一見不可解な重大な事件(殺人事件等)が続いて報道される。
世論は少年が少年法によって甘やかされている、被害者・被害者の遺族の権利(特に事実を知る権利)が保障されていないのに、犯人である少年が守られるのは不公平という議論が活発化していく。
これらの世論には、裁判所は沈黙するようになり、裁判官も調査官も口を閉ざすようになってきた。
この世論を背景に、自民党の議員が、非行少年に対し「引き回し、獄門」にすべきなどと発言したり、少年法の厳罰化、刑罰化を主張したりするようになる。
それ以後、少年法の重要部分が次々に改悪されるが、一部では国選付添人制度、被害者の知る権利、意見表明権を保障するというプラスに評価し得る改正も抱き合わせ的になされていく。
その主要な「改正」条文を昭和59年当時の条文と比較対照できる表を本書面末尾に添付する(資料2)。
以下にいくつかの「改悪」と言うべき「改正」について述べる。
5 平成12年(2000年)の大改悪
(1)刑罰化
- これまで行為時16歳以上の少年しか逆送できなかったのに、これを14歳以上へと引き下げた(20条1項)
- 故意犯罪により被害者を死亡させた事件については行為時16歳以上の少年の逆送を原則とする(20条2項)
- 故意犯罪による死亡事件、短期2年以上懲役の禁錮より重大な犯罪については検察官を審判に出席させることができるとした(22条の2、1項)
(2)厳罰化18歳未満の少年に対する無期刑を有期刑にすることを従来は必要的であったのに、裁量的にした(51条2項)
(3)改悪とは言えない改正
- 22条の2で検察官が出席する時、付添人がいない時は国選付添人を選任(22条の3の1項)
- 被害者側の審判記録の閲覧、謄写、被害者からの意見聴取を認める(5条の2、9条の2)
6 平成19年(2007年)の大改悪
(1)厳罰化
- 14歳未満の少年でも少年院送致ができるものとした(24条1項)
- 14歳未満の少年でも警察官の調査を行えるものとした(6条の5、1項)
7 年齢引き下げ反対の論拠
既に日弁連や各弁護士会で意見書や声明が出されており、それに反対する点は特にないが、私には以下の3点が特に説得的に思える。
1つめは松尾教授の論説から考えたことである。
民法の成人年齢については、仮に18歳の人達の9割が成人と同様の判断ができるとなれば、9割の人のためには、民法上の決定権を与えた方が良い。しかし、多少判断力の落ちる1割の人にはその権利を与えないというのは差別につながる。必要があれば成年後見の制度等を利用すれば良い。
従って、18歳の人には全て民法上の成人とすることは反対しない。
しかし、我々が接している「非行少年」と呼ばれている人々は、悪知恵は発達しているかもしれず、犯罪の内容は大人顔負けに残虐で計画的であったとしても、大局的に見ると極めて、幼稚で未熟な判断をしていることが多い。例えば、わずかなお金を入手しようとタクシー運転手を殺害する事件を考えてみると、全くそのような重大事件を起こした目的と、その手段があまりにアンバランスである。
このような人達は、十分な教育、愛情を受けていないため、人格を全体として見れば極めて未熟な面のある人達である。
このような人々は同じ年齢の人々の中の1%にも満たない人々である。
少年法とは、このような1%未満の人々をどのように処遇するかを決めるための法律である。
9割の人に着目する民法の成人年齢の考え方を、この1%にも満たない、未熟な人々を処遇する法律の理念に取り入れる合理性はない。
2つめは法制審で議論されている「代替案」についてである。
法制審では、18、19歳以上が成年として刑事裁判を受けることの弊害を避けるための法策(代替案)も議論されている。しかし、それらはいずれも検察官先議を前提とし、検察官が、保護処分が適切か刑事処分が適切かを判断したり、検察官が、起訴猶予を選択して、保護処分的な措置を取るというものである。
個々の検察官の中には、少年の更生に深い理解を持っておられる人々がいることは否定しないし、現に私はそのような人々とも面識がある。
しかし、制度的に、検察官は治安の維持、公共の安全を職務とするものであり、しかも裁判所とは違い上命下服の組織である。やはり、現在の家裁のように、まず第1に健全育成を考えるという方向とはどうしても異なって来ざるを得ない。家裁は自分の組織の中に、人間行動科学の専門家たる調査官を有しているので、健全育成、少年の立ち直りについて、その専門性を十分活用できる。
しかし、検察官が調査官の知見を利用できるとしても、現在のように、弁護士付添人も参加するケースカンファレンスなどは無理であろう。
少年の更生を期して、どのような保護処分あるいは保護処分的な措置が必要かを判断するのは検察官には荷が重いのではなかろうか。
3つめは、変わるのは18、19歳の少年に対する取扱いで済むのかという問題である。現在少年非行の減少によって少年部の調査官は減少しつつある。少年院も一部を除いて、定員の1、2割というところが少なくない。
18、19歳の少年が家裁に係属せず、少年院の収容者が更に半減してしまうと、従来のような業務、特に集団処遇は続行不能になるおそれが高い。調査官制度そのものの変質や廃止が懸念され少年院等の廃庁も増すであろう。
以 上